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シャスタのブログ 2010年10月

 

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[シャスタから・2010年10月の日記]

October , 2010  10月一杯は日本です。  

10月のブログ中断の言い訳は神社仏閣めぐり,  熊野古道を中心として和歌山県、奈良県の険しい山道110キロ、それに加えて京都など延べ12日間ほどバックパックを担いで 歩いた。 

とうとう10月も過ぎてしまった今日は11月の2日、新橋のスタバでコーヒー一杯で粘りながらようやくブログを書き始める。 今日のランチは40年前に三島由起夫が自決の前夜、仲間を集めて会食したと言う新橋の料理屋で、30数年来の友人と二人で。 9月末、関西からのお客様4名をシャスタからサンフランシスコにお送りして、その足でロスへ。  そして10月のはじめに東京に。 早速寅さんの柴又帝釈天にお参りして足のお守りを手に入れる。  何しろこれからの人生は、わが2本の足にかかっている、頭は悪いままでも大丈夫と開き直りの心境。 とにかく足が重要。 東京で墓参りやら同窓会やらを済ませて、いよいよ熊野古道に行く。   

October 11, 2010 (Mon)  & 12 (Tue) 和歌山県、高野山へ   1日目5キロと2日目7キロを荷物無しで歩く

新幹線で東京から新大阪へ。 地下鉄を乗り継いで南海難波駅に。そこからから特急に乗って終点極楽橋駅へ、次にケーブルカーとバスを乗り継いで 高野山の宿坊に2泊。  熊野古道を歩くための取っ掛かり拠点とした。 和歌山県橋本駅から、南海電車の特急はスイスの氷河鉄道のようにゆっくりと谷間の登りの急カーブを上がっていく。 宿坊では精進料理や温泉も楽しめる、朝のお勤めも希望者の自由参加。  奥の院に位置する弘法大師の御廟は他の参拝者のいない早朝が一番良い。 20万基を超える墓標が参道両側にある。 戦国時代の有名な武将の墓も多い。 この地域は漂っている”気”が濃いので、感じやすい人は敏感に反応するようだ。 世界遺産に登録されたことも一因か、訪問者の半分ぐらいが外国人、それも円高の影響が幾分薄いヨーロッパからの人達が多い。 一泊目が遍照光院、二泊目が温泉のある福智院。 いずれもおいしい精進料理と清楚な庭園がいい。  圧倒的に寺が多いが神社もある。

途中の駅を通過 遍照光院の夕食、精進料理 遍照光院の入り口 伊達家の墓地 奥の院への参道 真言宗本山、金剛峰寺,真言宗総本山、信徒1千万人 真言宗本山、金剛峰寺,真言宗総本山、下門 真言宗本山、金剛峰寺、消火用の桶 壇上伽藍・山王院 壇上伽藍・根本大塔 壇上伽藍・不動堂前の噴水 壇上伽藍・根本大塔 福智院 福智院の庭 壇上伽藍・西塔 神社も少しある 稲荷神社

October 13, 2010 (Wed)   和歌山県、龍神温泉     荷物無しで龍神温泉周辺を8キロばかり歩く

本来なら小辺路という高野山から熊野本宮にいたる古道があるのだが、途中の山道での3泊4日にも及ぶ宿泊をどうすればよいのか見当がつかず、情報が比較的多い紀伊田辺を経て滝尻からの”中辺路”を歩くことにしていて、高野山からバスで龍神温泉に。 途中の峠・護摩壇山の頂上でバスを乗り換える。 このあたりのバス代はかなり高いので覚悟が必要。 かなたに見える山並みが美しい。 龍神に到着後、手配しておいた民宿「ささゆり」にチェックイン。 その後温泉に入る前に宿の近くを散策、20分ほど離れた急坂を登る曼荼羅の滝を見物。この急な坂道を少し上がったところに「ほったて小屋」という小さな茶屋があり滝から戻ってくるときに立ち寄る。 都会からの移住組みが経営していそうな屋号だが、地元の方の経営だった。 しばしビールを飲みながら経営者ご夫婦と四方山話や地元の情報を聞いてすぐそばの元湯へ。 1時間ほどお湯を楽しみ元湯から15分ほど歩いて宿に戻り、夕食は鮎の塩焼きとマツタケの土瓶蒸し。 繊細な味付けと、新鮮な食材、綺麗な部屋と家族的なおもてなしで、ここを選んで大正解。 夜中に裏山で鹿の鋭い鳴き声がやかましい。

バス乗り換えの峠・護摩壇山から南東の眺望 日高川、魚が見える 日高川の釣り人、鮎の友を使っていた 350年の由緒ある宿 曼荼羅の滝、空海が滝行をした・又小説「大菩薩峠でも有名に ささゆりのおいしい夕食

October 14, 2010 (Thu)   いよいよ熊野古道を歩き始める日が来た。 龍神温泉から紀伊田辺経由滝尻まで2時間40分ほど路線バスを乗り継ぐ。 滝尻王子から近露まで行程13キロほど、徒歩6時間の予定。 

朝出発時に”ささゆり”の女将さんからお土産にと自家製の梅干をいただく。 紀州の梅は名産品。 このあたりではバスは手を上げると停留所でなくても目の前で停まってくれる。  龍神温泉から紀伊田辺に行き、そこからバスを乗り換えて滝尻王子まで行く。 予定していた紀伊田辺にも滝尻にもランチを買う場所が無く愕然とするが、12時過ぎには食事を提供してくれる休憩所があると聞いたところにたどり着けそうだ。 10時半ごろ中辺路の出発点である滝尻王子から歩き始める。 10分ほど急な坂を上ると滝のような汗ですぐに半ズボンに履き代える。 一時間ほど急坂を登る。 2週間分の旅行荷物13キロがずしりと重い。  いつもの重い撮影機材やノートパソコンを持ってこなくて本当に良かった。 しかしこの勾配のきつさは何だ!  うっかり坂の途中で背筋を伸ばして立ち止まると後ろにひっくり返りそうになる。 予約時に今晩お世話になる”月の家”のご主人から、水と雨具などの装備を念押しされていた。 新調したストックが軽くて使い勝手が良い、というか必需品だ。 日本は登山用品が高いが東京で無理して買ってきて良かった。 地図と古道の歴史は2番目と3番目の立て札の写真を見ると良くわかる。

滝尻王子・資料館・売店などがあるが昼食の確保は難しい 中辺路の地図 熊野古道解説の看板 最初の一歩・どっど疲れる親切な立て札 汗だくで、名前を忘れた王子/不寝王子のはず

2時間(3.8キロ)ぐらいで観光バスが上がってくる休憩所、”高原霧の里”に到着するが飲み物の自動販売機とトイレがあるだけ。 通りがかりの地元の人に聞いてようやく集落唯一のレストランを探してスパゲッティーを食べる。 ここから今晩投宿の近露まで人家無しで4時間とあるが、3時間と少しで飛ぶように走破してしまった。 あやつり人形が糸に引かれて持ち上げられて走っていくような感覚だ。 9年前南カリフォルニアで3千メールの山に登頂。20キロの荷物を担いでいて同じような高揚感に包まれ、天狗になって飛ぶように下山中左足を滑らせて右足の上に座り込むように姿勢を崩し、”ボキッ”と言う鈍い音とともに足首のところで骨が折れて歩行不能になり、大型ヘリで救助される羽目に。 今回は絶対そうならぬよう気を引き締めて歩く。 近露到着は午後5時近く、すでに薄暗くなりかけていたが無事に今晩の宿「月の家」に到着、すぐに風呂に入り鮎の塩焼きの夕食(ビールも)。 この日最後に立ち寄った牛馬童子はいわくある見所の場所だそうだ。 翌朝、近いからと月の家のご主人が同宿のお客さんを車でそこまで案内しておられた。 お地蔵さんの首が行方不明になり、2年後にまたもとどおりになっていたと言う。  今日は5人ほど抜いたが、反対から歩いてくる人は皆無だった。

高原のすぐ手前から果無山脈を見る 高原熊野神社 シダ類が多い古道 木の根も露出していて歩きにくい 木にさえぎられてほとんど日が差さない 牛馬童子 手のひらサイズの巨大クモ、守り神

October  15, 2010 (Fri)   近露から本宮大社を経て湯の峰温泉へ一気に26.4キロを歩く  10時間半

早い朝食を済ませ参拝の作法や途中の見所を”月の家”のご主人に教えてもらい、用意してもらった昼食用の弁当をもって朝6時半に出発。 歩き始めの2時間ほどは生活道路を歩くところが多い。 途中で歩けなくなったらバスに乗る方法もあるが、そういう一般道に近づくところは2ヶ所程度しかない。  滝尻王子で昨日見かけた若いハイカーの男性としばらく歩きながら話すが、彼はピッチを上げて先に行った。

比曾原王子あたりから南を望む 超大きなマツタケ 朝日が差し込む森 朝もやの中のハイカー 道端の朝顔

一時間半ほど歩いて日本名水百選の一つ、”野中の清水”に立ち寄り水の補給。 写真を撮っている間、近所の主婦の方がやかんに水を汲んでいった。  急斜面を登り、道に戻リすぐ北に位置する継桜王子に参拝。  集落のはずれで数匹のサルが道に出てきたがすぐに森に戻った。  王子とは正確には王子社のことで、参詣道の要所要所に旅人の安全を祈願して立てられた、当時100ヶ所を越える小規模礼拝施設であるが、現在でも残っているところは全部無人である。 かつては休憩や宿泊を提供する茶屋も散在したが、現在もあるのはスタート地点の滝尻王子だけのようだ。   ”野中の一方杉”という、すべての枝振りが南を向いている杉の木があると言うが、継桜王子の鳥居の脇に立っている巨木のことか良くわからなかった。

日本名水百選の野中の清水 野中の清水 野中の清水 野中の清水 継桜王子の巨木 継桜王子 とがの木茶屋と言う風流な民宿、軒先に俳句を残せるがそれどころではない

このあたり(継桜王子)から人家が無くなり上り下りのきつい峠をいくつも越える。 1200年前ぐらいから参詣道として開かれ、最盛期にはこの道を蟻の行列のように参拝者が歩いたと言うから、一歩一歩踏みしめてそのころの人たちがどのような気持ちで歩いたのか想像してみる。 当時の距離感と健康管理、装備・道具と路銀(経済力)、旅人の安全、倫理観、通信集団、宿泊施設の手配など、現在は便利になった。  そんな中で食事だけはあまり変わっていないかなと思ったりもする(このことは後に”やはりそうなのかー”と納得させられる)。 とにかくタイムトリップだ。 バスで都合の良いところから、バックパックを担いで、強靭なハイキングブーツを履いて、緊急時には携帯が通じるし、宿泊はインターネットで事前予約と大変便利になった。 しかしこの1200年間に物質面や科学以外に精神面での進歩はあったのか疑問だ。 いや、かなり退化してしまったのではないかと思う。 そんなことを考えながらとにかくこけないよう留意しながらひたすらに歩く。 

間伐の行き届いた森 典型的な古道の風情 尾根から北を覗く かみそりの刃の上のような尾根道 おぎん地蔵、悲しいいわれがある 小川の差し込む朝日

蛇型地蔵の先にある湯川王子は皇太子殿下も訪門されたところと碑がたっている。 山の中で鉄砲を持つ猟師も多く警備が大変だったそうだ。 少し手前で林道と交差していたが、そこに”王子製紙社有林”という碑が立っていた。 どこの森も間伐、手入れが行き届いていて生えている木はみな鉛筆のようにまっすぐだ。 王子がたくさんある地に森を所有するから王子製紙。なるほどー! ただし、海外材のようにトラクターや伐採機材が木の根元までいけるような地勢では無く、険しい山での切り出しのコストが比較にならず、最終的に輸入材が市場を席巻する。 これは日本にとって利己的に考えると、木が残り森が残り山がある程度守られると言う効果があるのか?  このあたりは50年前まで人が住んでいたという。  一升瓶や茶碗のかけらが散見され、道沿いにところどころ石壁が残されていて、取水のためのプラスチック製の水道管もあちこちに露出している。 昔、一帯を支配していた湯川一族の墓地もあり、生活感が今も漂う。  途中で、近露の小学校6年生の40人ぐらいの団体と抜きつ抜かれつで発心門王子まで進むが、他にはハイカーはいない。 中辺路を何回かに分けて歩く教科の最後のセクションだそうだ。 かなり衝撃的な映像なので掲載しないが、おぎん地蔵のすぐ手前の川の中で、日本カモシカの成獣が死んでいて下半身の腐敗もある程度進んでいた。 こういうこともあるので、川の水は直接摂取しないことが賢明だ。 お銀地蔵も追いはぎに殺されたおぎんさんの悲しい言い伝えがあり、このあたり一帯には”ダル”と言う妖怪が出るとも言われていて。 人が住まなくなった荒地を見て、”気”を感じて、このあたりは”霊界”ではないかとなんとなくこれも”なるほどー”と思えた。 

蛇型地蔵 湯川王子

長い坂を上って”三越し峠”の関所跡で、月の家さんでつくってもらったメハリ寿司弁当に舌鼓を打つ。 この地方の郷土料理、海苔の代わりに浅漬けにした高菜で包んだ握り飯、ほのかなしょうゆ味がする。 ここから船玉神社まで下り坂が続く。  下り坂でも苔むした石畳があり、滑ることこの上ないのでゆっくり降りる。 川沿いの渓谷をしばらく歩く。 船玉神社は湯の峰温泉に到達する”赤木越え(6キロ)”のルートの分岐点にある。 赤城越えを使うと本宮大社をすっ飛ばすことになるので、今晩の宿泊地までの近道ではあるが直進する。 だいぶ方向感覚や地理感が腑に落ちるようになってきた。 沢蟹がいた。 猪鼻王子からの坂を上りきるといよいよ熊野三山の神域に入る、発心門王子である。 ここから本宮大社まで2時間半。 集落をいくつか通り抜けて行く。  途中で大斎原(おおゆのはら)をはるかかなたに見れる伏拝み王子があり、少し横道に入った展望場所などがある。 そこから大斎原の大鳥居が見えたときは、ひとしおの達成感を味わえた。 明治22年、熊野川が氾濫し中州にあった熊野本宮大社が流失した旧社地に立つ巨大鳥居。 その後少し北の山に上がったところに流出を免れた4社が現在の場所に移された。  遠くからでも見えるこの大きな鳥居は平成12年に建立、高さ34メートル、重さ172トンと日本最大の大きさで、日本鋼管・津製作所が製作し200キロの距離をトレーラーで運ばれた鋼鉄製の鳥居だ。

三越峠 メハリ寿司弁当 沢蟹 道標 船玉神社 発心門王子 発心門王子 伏拝み王子から大斎原が見える 三軒茶屋(無人) あと30分ほどで本宮だ 寄り道の展望台から大斎原の大鳥居がかなり近くに見える

いくつもの峠を上り下りして本日の行程26キロを歩き終え、本宮裏鳥居のすぐ手前の祓所王子で清めの参拝をして午後5時前に熊野本宮大社に山側から到着。 自分の足で歩きとおしたと言う感慨と満足感ひとしおだ。 熊野本宮大社は全国に4千以上あると言われる熊野神社の総本山だ。 4千という数は稲荷神社(3万以上)や八幡神社(2万5千)などのグループに比べると格段に少ないが、どこに行っても必ず熊野神社がある。 手早く参拝を済ませて参道を下り、神社入り口に近いバス停に行き今晩宿泊の湯の峰温泉行きのバスに乗る。 25分ほど一方通行のような細い道を走り、川湯温泉や渡瀬温泉などを通り過ぎて”湯の峰温泉”に着く。  正式には熊野本宮大社から熊野速玉大社そして熊野那智大社の順に参拝するが、現在は本宮から速玉までは熊野川沿いの車道か遊覧船で川くだりなので、このセクションは省くことにしていた。 古来は、歩きかやはり船くだりが選択肢で、財力のある人は農民の一日の日当程度の乗船料を払い船で楽チンした。 本宮大社は熊野三山の中心とされていて一番歴史も古い、創祇1700年ぐらい前といわれる。 これら三社が熊野三山と言われるようになったのは11世紀ごろからで、それぞれの祭神をお互いに勧請しあってから。 本宮大社の祭神は”家津御子大神(スサノオ)”、速玉大社は御子速玉大神(イザナギ)、那智大社は熊野夫須美大神(イザナミ)である。

熊野本宮大社 熊野本宮大社 熊野本宮大社 熊野本宮大社

湯の峰温泉は日本最古といわれるこじんまりとした温泉街。 宿泊は”つぼ湯”のすぐ真上の”よしの家”。 このつぼ湯はなんと世界遺産に登録されている、一度に一人しか入れない天然温泉風呂。 面白そうだけど予約と別途料金なので、宿のお湯に浸かり汗を流し、夕食をいただく。 またしても鮎の塩焼き。 いえいえ、文句などありようがありません。 荷物を担いでいないのに1階の風呂場から3階の部屋までの階段を上るのが辛い。 明日大丈夫か?  とりあえずチェックアウトまで4回風呂に入る。 この温泉郷にも小栗半官が盲目を治癒したとされる壮絶な昔話の伝説がある。 正式には那智大社から来て大日越えという3.5キロの峠越えを歩いて本宮に戻るのが順序だが今回は逆に歩く。 翌朝5時過ぎにけたたましいサイレンが何度か鳴り響き、大音響のスピーカーで地元の消防団の出動要請がアナウンスされる。 小火で済んだようで30分後には鎮火したから出動しなくても良いと鳴り響きほっとする。 

よしの家さんの夕食 一度に一人しか入れないつぼ湯 下流方向の眺め 上流方向の眺め

October 16, 2010 (Sat)   湯の峰温泉から小口へ(小雲取越え)   13キロ  5時間

今日は那智大社を目指すが、途中の小口と言うところで一泊だ。  湯の峰温泉からバスで15分の熊野川の岸にある請川まで出て、ここから古道に入る。 人家の間から始まる入り口が見つけにくい。  この歩き方は正式な順序の反対歩きである。 ここでも古道がスタートする場所は人の家の軒先を通ることになる。 一日数人程度だから良いが、蟻の行列だと茶屋商売でもやるしかない。 このセクションは小雲取越という名前が付けられている。 今までの道に比べて上り下りの緩急が穏やかでハイキングに近い感じで歩けた。  今までのセクションは修行、鍛錬、苦行がふさわしい形容詞だ。 反対歩きしているためか、午前中に向こうから一人、二人とハイカーとすれ違い、二人を追い越した。

上り口を見つける 人の家の軒先を通らねばならない 勾配があまりきつくない・歩きやすい 雑木林の中を散策すると言う感じ 歩きやすい 松畑茶屋跡 茶屋跡の守り神 落ち葉がぎっしり 百間ぐらに到着 百間ぐらからの眺め

そろそろ足が心配だが、勾配がそれほどきつくないので午後2時過ぎに、赤木川が流れる小和瀬に着く(降り立つと言う表現がふさわしい)。 人家のある小和瀬の渡し場付近で畑仕事をしている人に、ここらあたりで昼食を取れるところが無いか聞くと、今晩泊まる民宿”百福”さんで食べさせてくれると言う。 さらに20分ほど舗装道路を歩いてトンネルをくぐり小口に早めに到着。 昼食を食べていないのでお願いしますといったら、髪の毛をピンク色に染めた女将さんが、「うちではやっていない」とそっけない。 うわー、腹ペコだよ。 そろそろチャーシュー麺にギョーザと半チャーハンみたいなガッツリした食事がしたいと思って期待がふくらんでいたのに。 近くにある何でも屋やさんにいけば食べ物があると言う。

空気が適度に湿っていて心地よい どこもシダ類が元気だ ところどころに紅葉の気配が 赤木川を眼下に見ながら下り始める 下り坂にかかる

そう、この集落ではそこ一軒しかない店だ。 ビールやら、煎餅やら、お菓子類、それに生魚や鶏肉も冷蔵ケースに少しある、文房具や電球などもある何でも屋さん、客に食事を提供するような店ではない。 コンビに風の弁当も無い。  店内を一巡してからその店の女将さんに昼を食べ損た話をしたら、この辺にはそういう店は何も無いから「シャケの切り身を焼いてあげましょう、ご飯はインスタントのをマイクロで暖めればいいでしょ」といってくれる。  しばし、レジのそばで鮭が焼けるのを待つ。 さあどうぞと、綺麗に皿に盛り付けた焼き魚、オシンコウ、それにお茶碗に入った白米に黒胡麻がかかったのがお盆に乗って出てきた。 すこししてお茶と半切りカボスをくりぬいたものに梅干が入ったのも出てくる。 もう少しで涙がこぼれそうになった。 少し話し込んでビールやら、ドーナッツやら、明日のおやつを買い込む。 ”百福”さんではご主人にずいぶん気を使っていただいたり大変お世話になり、毎月髪の毛を違う色に染めると言う奥さんも、とても優しい方だった。  シャスタも良いけど、ここ小口もいいなーと思う。 

古道を降り立ったところ、ここも人の家の玄関の横を通る 赤木川・昔は水量が多かったのだろう”渡し場”があった 焼き魚定食を作っていただいた シャケを焼いて下さった観音様 赤木川、橋の向こうの山すそから大雲取越えの古道が始まる 百福さんの知り合いの方が書いた墨絵・熊野の山々の雰囲気が良く出ている素敵な作品 毎月髪の色を変えるそうだ、キマッテル ご主人と一緒に

October 17, 2010 (Sun)   小口から那智大社まで   14.5キロ 8時間(大雲取越え)

今日は那智大社を目指して朝8時半ごろ出発。  百福のご主人から”登りが長くてきついよ”と激励を受ける。  昨日シャケを焼いてもらったお店の横の川から登りはじめる。 なるほどきつい登りが2時間以上、最終ストレッチは胴切坂だと。 心臓破りと改名してほしい。 そのうち頭が朦朧としているのか半ばトランス状態に入ったのか、苦しみがあまり感じられなくなる。 足は一歩、一歩、持ち上げてヨイショと前に出すと言う感じでスローモーションで’動かすが、気がつくといつの間にか峠の頂上に立っている自分がある。 そして下りがあり、また登りがあり、いつぶっ倒れてもおかしくない負荷が体にかかっているのに、数分すると息が、足が、先ほどより元気になっている。 この繰り返しが延々と続き、そのうちに目的地に到着するのである。 もう肉食をしなくなって7日目だ、どういうことだ。 シャスタのメディスンレークで神秘治癒した、山を下りるときのあの膝の痛み、その再発を恐れて重厚なサポーターを着用しているがそろそろ体力の限界だろう。 13キロの荷物が無かったとしてもこれはかなりきつい。 必要な物を出し入れするのに、バックパックをいちいち肩からはずして降ろして、また持ち上げて担ぐ一連の動作が億劫だ。 夢遊病歩きのリズムが崩れるのだ。 水、小型カメラ、地図、甘味類はコンビニのビニールバッグに入れて手ぬぐいでバックパックのショルダーストラップに縛り付けて、ぶらぶら揺れるのを防いだ。 こうすると、胸から腹にかけて必要なものがすべて集約されて、出し入れも無理がない。 しかし体裁が良くないのと、手ぬぐいの結び目がしょっちゅう緩むことと、そのうちにビニールが破れてくるので、いつか便利な胸バッグを見つけようと決心する。 次回は下着類・衣類は速乾性の軽いもので対応しよう。 しかし、この体力はどこから湧いてくるのか、菜食中心の食事でもぜんぜん大丈夫じゃないか。 自分の力ではないものに憑き動かされている不思議な感覚だ。 これが修行・苦行にはまるということなのか? とにかく、米を食べて力が出ているいると言う感覚を実体験、自分の力以上の神の手引き・後押しを感じ、信仰という行為の原点を垣間見たような気がする。  

ここも人の家の軒先を通らねばならない まだまだ歩き始めたばかりの距離だ 円座石(わろうだいし) 円座石(わろうだいし)の説明 歩きやすい平坦の道(珍しい) 長い蔓 茶屋跡の守り神 胴切坂 胴切坂のスイッチバック 胴切坂の頂上・越前峠のほうを眺める 越前峠を下ったところ

越前峠を下ったところで、小川があり少し開けたところでもあり12時を過ぎていたので昼飯にする。  百福さんで作ってもらった弁当だ。  めはり寿司、玉子焼きにソーセージとすこしガッツリ目でお願いした。  渓流に小魚がたくさんいる。  米粒を投げ入れると、腹ペコのピラニアのように争って猛烈に喰らいつく。 落下地点が岸辺でも、シャチが岸に乗り上げてアザラシを捕食するように水から頭を乗り出して食べている。 かわいそうに余り食べ物がないのか。 おにぎりの3分の一ぐらいを少しずつ川に放り込んでしばし魚と戯れる。 このセクションでは反対から二人のハイカーに出会った。  このあたりからしばらく林道を歩く。  古道は私有地を通っているらしく整備がされていないようだ。 今までのセクションを通じて、世界遺産に登録され外国人も歩くと言うのに、どこも歩いている人が少ないのには少し驚きだ。 人通りが少ない証拠に、4番目の写真のように熊笹で道が塞がれているようなところもある。 最終の船見峠を越えて、船見茶屋跡から遠州灘が遠望できる。 紀伊勝浦の町らしい。 もうすぐ那智大社だ。 下坂も、ブレーキをかけなくては滑るような所ばかりで登りと労力はあまり変わりない。 

ピラニアの群れ 滑りやすい石畳 間伐材が無造作にそのままに 道を間違えたかと思うほど笹が生い茂り道を塞いでいた 遠く紀伊勝浦が見える

1時間ほど下ると観光バスが3台停まっている大きな公園のようなところに到着。  ここからどう行けばよいのか標識が無いので運転手さんに聞くが、不正確な道案内を受ける。  どうもおかしいと途中で気がついて、あわや公園横の100メートルの山を間違って登るところだった。 くわばらくわばら。  体力の限界で歩いておりますので余計な迂回ははできませぬ。 見当をつけて鹿の糞だらけの公園を横切ると、標識が出て来て下りの石段が延々と続いており、30分ほどでようやく那智の寺社群域に降り立つ。  夕刻のどこからか法螺貝の音がする。  滝はかなり下りていかないといけないようで、体力的にも時間的にも翌日に回ることとして今晩の宿、”美滝山荘”にチェックインして早速温泉風呂に入る。 民宿なので朝風呂に入れないのが残念だが立派な夕食だ。

那智の滝 宿から見た夕焼け 美滝山荘の夕食・久しぶりの刺身がうまい

October 18, 2010 (Mon)  那智大社から速玉大社経由,湯の峰温泉まで   徒歩11キロ

翌朝荷物を置いたままチェックアウトして、2時間ほど滝や寺社を見て回る。 高低差の凄くある立体的な寺社群。 帰り際に宿のご主人と世話話をしてから、JRの那智駅までバスの予定だったが、約6キロを歩くことにする。    ここに来るまで水源に近い山を歩いてきたわけだが、それほど高い山を後ろにひかえているわけでもなし、大きな川もないし、あの滝の水量はどう考えても地下から噴出しているのではないかと思う。 水源はかなり神聖な場所で普通では行けないようだ。 是非行って見たい。

那智大社鳥居 那智大社 那智大社 那智山青岸渡寺 那智山青岸渡寺 清岸渡寺の灯篭と滝 三重塔 那智の大滝 大門坂入り口 大門坂入り口

一時間と少しばかり舗装道路を歩いてJRきのくに線が走っている海岸に出る。 那智駅に着く手前に補陀洛山寺と熊野三所大神社に詣でる。 補陀洛山寺にはすごい小船が展示されていた。  その昔、補陀洛・極楽浄土を求めて僧が船に乗り込み、出られないように外から板を打ち付けられ、沖まで曳航された後解き放たれて大海原を漂うのである。 歴代の住職は亡くなると同じように船で漂流葬されたという。 この補陀洛渡海という行は死とロマンが混ざり合った究極の信仰形態だと思う。 さて駅に着いてみるとはなはだ不便な時刻表に愕然とする。 どうしても洗濯したいのでコインランドリーを探したが見つからない。 時刻表と行動予定が合わないので速玉大社のある新宮駅とは反対の紀伊勝浦に出てみることにする。  こちら行きは普通電車がすぐに来た。 二つ目が勝浦だが駅に到着する直前に車内からコインランドリーがあるのが見えた。 ラッキーだ、それに誰もいないので裸になって全部洗い、持ち合わせの食料でランドリーに中で昼食とする。 風呂に入るのと同じぐらいすっきりしたが住所不定の不審者として通報されてもおかしくない。 さて新宮に行くのに普通列車だと遅くなりすぎるので短い区間だけど高い特急料金を払ってその一本前に来る14:44分発のスーパーくろしお9号に乗る。  あまり状態の良くない単線を横に、縦に揺れながら都会の普通電車より遅い速度で17分ほど進む。 着いた新宮駅から20分ほど歩いて速玉大社だ。 湯の峰温泉行きの最終バスの時刻が迫っているので、駆け足状態で参拝。 バスは神社近くから乗れるので無事バスに間に合い、湯の峰温泉に5時に着きおとといと同じ”よしの家”に泊まる。 

グリーンピースがいないかと辺りを見回してから撮影 補陀洛山寺 補陀洛山寺 熊野三所大神社 紀伊勝浦駅で14:44発新宮行きの特急スーパ-くろしお9号に乗る・ 熊野速玉大社 熊野速玉大社 熊野速玉大社 熊野速玉大社 熊野川のほとりをバスで北上する・

October 19, 2010 (Tue)  湯の峰温泉から本宮大社まで   3.4キロ+2キロ 2.0時間(大日越え)

朝ゆっくり目に湯の峰温泉を出発。  今日は2時間ぐらいしか歩かない、休息日のようなものだ。  明日は十津川村で友人と落ち合う約束があるので、その時間調整でもある。  宿の裏手から上り始め二人のハイカーを抜く。 峠は一つだけ。  すぐに下りになり、大斎原に出る。  あの大きな鳥居の真下を通るのだ。 旧社地には石碑がいくつかあるだけで、社務所のようなものも無い。  ゆっくり歩いて本宮大社のほうに向かい、資料館でいろいろ勉強する。  そばのラーメン屋で昼食。  宿を探すも、目当てのB&Bは定休日で駄目、それ以外泊まる所がなさそう。 そうこうしているうちにレストランも御土産やもどんどん店じまいの支度を始めている。  泊まる所も夕食を食べるところもなさそうだ。 大斎原の方向に少し戻ってみても何も無い。 閉めかけている弁当屋さんでめはり寿司を買って、とりあえず食料を確保。 宿は資料館のインターネットで検索したら、なんと本宮大社が 瑞鳳殿という素泊まりで3千円の宿坊を提供している。 上の社務所で費用を払い宿も確保。 宿坊の風呂が6時ごろでないと準備できないと言う。  それではと、近くの公衆浴場を探して200円で営業開始直前の誰もいないお湯を楽しむ。 入浴という治癒行為の効果にも改めて実感する。 帰りに宿坊横のコンビニでビールやバナナ、ミルクなどを買い込み明日の朝飯に備える。 先ほどの弁当屋さんに15分早めに開店してもらって明日の昼用の弁当を買うことになっている。 準備万端これで後は寝るだけ。 と思ったら、二人の中年女性らしき人がチェックイン、夜遅くまで”ああじゃ、こうじゃ”としゃべりまくっている。 欄間が筒抜けの和室だからうるさいことこの上ない。  そのうちの一人は朝まで咳をしていてこれもうるさかった。  誰もいなければ安くて最高なのに。 明日は9時のチェックアウトだ。  

大日越えを登りそろそろ平坦になる直前の切通し 大日越えを下りてきたところ 大日越えを下り切る直前の道端の花 大日越えを下りてきたところ・傾斜45度の階段坂 旧社地・大斎原のなごり 旧社地・大斎原の流失前の写真 旧社地・大斎原の鳥居 旧社地・大斎原の鳥居・北から南を見る 資料館の絵・天皇は馬に乗って楽チンしている 瑞鳳殿の部屋・

October 20, 2010 (Wed)   本宮大社から十津川村まで(小辺路)   15.2キロ 8.5時間

今日は朝から雨が降っている。  雨具は持ってきたが、バックパックに被せるレインカバーを忘れてきた。  例のコンビニで大きめのゴミ袋を買い弁当屋さんに行く。 9時15分ごろ店に来ると言ってたがそれより少し早めに行くともう開店していた。 ゴミ袋は3枚もあれば十分なので、残りをお店にあげる。 今日のルートは今までで一番標高の高い峠があり、難所と言う解説だ。 ゴミ袋にショルダーストラップが通る穴を開け、頭巾のようにバックパックにすっぽり被せてイザ出発。 これも体裁が良くない。 今日のルートは高野山から3泊して本宮大社に来る小辺路の最後のセクションを逆に歩くことになる。 最初の45分ぐらいは近露から歩いてきた最後の部分を戻り、三軒茶屋で小辺路に曲がる。 雨は小降りか霧雨状態でなんとか行けそうだ。 本宮の158段の階段を上り最後の参拝。 ふと幟りの一つに厄年と書いてある、何気なしに昭和25年と言う文字が眼に入る。 ”えっ” どういうこと? ははあ、厄年は数え年で決まり、昭和25年生まれは60歳だけど、数えの61歳の厄年は今年になる。  あわてて、厄除けのお守りを購入。 気がついて良かったなとなんとなく一安心して歩き出す。 すぐに暑くなり雨具を脱ぐ。  三軒茶屋から少し下ると1時間ほど川沿いの舗装路を歩く。  八尾木というところから登山道の入り口になる。 

本宮大社158段の参道 祓所大神 祓所王子 小雨の登り・この部分は中辺路最後の所を戻ることになる 小雨の登り・三軒茶屋に向けて歩く 小雨の登り・小雨で視界が霞む 三軒茶屋で右に下りる ここから舗装路を歩く 魚の泳ぐ様子が見える熊野川に沿って歩く・正面遥かかなたの山に登ることになる 登山口・八木尾に近づいてきた

八木尾橋を渡るとすぐ左に登山口がある、ここから果無峠まで一挙に1千メートルを上がる。  雨が降ると雰囲気はよいが、登りは汗をかくので雨具を着ているとができない。  本格的に雨が降る様な場合は中止が賢明だろう。 十津川まで33体の観音石仏があり旅人の安全を見守っている。 本宮に近いほうから1番で十津川で33番となる。 やはりこのセクションはきつい。  向かいから一組のご夫婦が来て情報交換。  十津川村出発時はかなりの雨だったそうだ。  きちんと雨具を着ておられた。  出会ったのは八木尾の登山口を上がったところで住人の方としばし会話をしたのみで計3人だけ。  途中の左斜面で人の話し声と物音がしたが、見えない。 マツタケの密漁か? どこからとも無く香りがするので自分も必死なって探していたのだが、松の木は杉に比べて極端に少ないし、どういう風に生息しているのか知らないし、古道沿いのマツタケなんてとっくに採集されているだろうから、結局収穫無し。  それにしても凄い湿気だ。 水の補給をどんどんするが、のどが渇くということではない。 営林局の立て札の違いから歩いているうちに知らないあいだに和歌山県から奈良県に入っることに気がつく。

八木尾の登山口、ここから 一枚の落ち葉が色が鮮やかだった 西国33観音の3番目の観音像 霧雨の結露と汗の結晶 4番目の観音像 尾根から西を覗く・シダ類がほんとうに元気だ 尾根から西の谷を見下ろす 尾根から東の谷を見下ろす 尾根から東の谷を見下ろす しっとりとした古道・雰囲気は最高

またこのあたりでトランス状態。  操り人形のように山道を登っていく。   腰掛けて休むところも無い。  昼食は道の真ん中で段差を腰掛にしていただく。 いつうものパワー食だ。 もやで遠くがかすんだ感じがとても心地よい。

道端のリンドウ 行く手が霞む古道 坂の上を見上げる 珍しくつむじを曲げた木の幹 尾根を通過、木が無かったら這って歩かなければならないぐらいに両側は急斜面 霧が雰囲気を盛り上げる 雨がおさまってきたたようだ スイッチバックの標識 昼食・座るところが無いので坂の真ん中の段を椅子代わりに 南西を見る

いよいよこのセクションのクライマックス、果無峠に近くなる。  これさえ過ぎれば後は下りばかりでかなり楽になるはず。  時間は標準時間を越えたペースでだいぶ遅れている。 標高1,114メーター果無峠の頂上はスイッチバックになっていてブナ平らが直進方向、右後ろに戻るように折れ曲がって下るのが果無集落。 それってもう人の住まなくなった跡地のことと思い、もう少しでブナ平に行ってしまうところだった。 危ない、危ない。 風が強く気温が凄く下がってきてゴアテックスの上着を着る。 雨よけのビニールごみ袋をしっかりかけ直す。  歩き出したらすぐ暑くなってきたが立ち止まってペースを崩したくないのでそのままにする。 だんだん暗くなる、明るいうちに着けそうも無い。 江戸時代に人が住んで営業していたという山口茶屋跡、そこの生活を支えるための小さな水田跡を見て、やはり感慨がひとしお。 標高が高いので水の確保に苦労したようだ。 科学や物質文明が進んでも、やはり過酷な状況では人は住む事が出来ない。  さらに30分ほど下り果無集落に降り立つ。 

第17番観音・果無峠の頂上にある ブナ平への分岐点・果無集落がどこだか認識できず迷いそうになった 第18番観音 第20番観音 観音堂近くにいたガマ蛙 山口茶屋跡 天水田跡 果無集落に下りたところ 小辺路の説明看板 日本田舎風景百選に選ばれた場所・(後で知った)

人家の合間を縫って、果無集落を通り過ぎるとまた急な石畳の坂道。 眼下に十津川村の明かりが見えるが、ここから暗くなりヘッドランプ着用だ。 真っ暗でライト無しでは足元も見えない。 一歩一歩慎重にブレーキをかけながら、石畳を避けて道の端を下る。 暗い坂道を30分ほど下りるとようやく舗装路に出るが、ここから今晩の宿”すばるの郷”までどう行くのか、尋ねる人もいないしとりあえず十津川村という矢印を頼りに暗い道を歩く。 車道から外れて川べりの真っ暗な細い道を、空き家らしき電気のついていない暗い家の脇をすり抜けるとつり橋が出てきた。  とりあえず渡ってみる。 橋が揺れて歩きにくいが、早く人に出会って道を尋ねたい。  橋を渡り、適当に見当をつけて右に曲がると今度はトンネルが左にある三叉路に。 これも適当に感で左に曲がる。 途中車が1台来たので手を挙げるが停まってくれない。  仕方なくそのままトンネルを潜り抜けると、広場のようなところに出て、車がたくさん駐車していた。 よく見ると宿泊施設みたいだ。 おおー、これぞ今晩泊まる”すばるの郷”だ。 とうとう到着だ。 熊野古道無事終了だ。 一度も道を間違えずに来れたのは”神のご加護”、絶対にそうだ。  早速チェックインして風呂に飛び込む。  ああ、感慨無量。  おいしい夕食と日本酒でもう一度感慨無量。

人の家の前庭を通り抜けていく 石畳の下り坂・ペースを落とさないと歩けない 十津川村が見えてきた すばるの郷の夕食

<熊野古道歩き総括>

10月11日  高野山                           5.0 km

10月12日  高野山       7.0 km

10月13日  龍神温泉                    8.0 km

10月14日  滝尻王子--近露                           13.0 km

10月15日  近露--本宮大社 ( 湯の峰温泉)               26.4 km

10月16日  (湯の峰温泉) 請川--小口                            13.0 km

10月17日  小口--那智大社                    14.5 km

10月18日  那智大社・新宮・速玉大社経由・湯の峰温泉               11.0 km

10月19日  湯の峰温泉--本宮大社                    5.4 km

10月20日  本宮大社--十津川村                    15.2 km

 上記10泊11日の行程で118.5kmを歩く。  内、約100kmが高低差の激しい山道。

1. 参詣道というからハイキングコース程度に考えていたが、大間違い。 大峯奥駈道ほどの険しさは無いものの修行・苦行の道と考えたほうがよい。 荷物は最低限に、しかし十分な備えを。

2. 途中で疲労など、ルートから離脱の選択肢を前もって頭に入れておくこと。 杖は必須。 水や昼食は出発時にそろえておくこと。 途中の補充はほぼ皆無。

3. 地域の公共交通機関はバス。 時刻表を事前入手して ”2”にも活用する。

4. 暗くなったらアウト。 日があるうちの行動予定を組んで、それに従って行動する事。  初めての場合は二人以上が無難。

5. 宿泊は事前手配が原則。 民宿の夕食は6時から6時半が一般的。 食事前に風呂に入るので夕方5時までには到着したい。  

6. それぞれのセクションをバスを活用して日帰りで単独消化することも可能。 一度に全部歩く必要は無い。

 ---熊野古道を終えて、その後---

10月21日  友人の車で、十津川村・玉置神社 天川・大弁財天社 洞川・大峰山、女人結界 洞川・龍泉寺を見て回る、楽チン楽チン  

( 玉置神社、大峯奥駈道)  正確に言うと世界遺産の登録名称は”紀伊山地の霊場と参詣道”で、熊野三山、高野山、と吉野大峯が霊場であり、熊野古道、高野山・町石道、そして吉野と本宮を結ぶ大峯奥駈道が参詣道である。 玉置神社は十津川から14キロほど山道を上って来るが、吉野を起点にした場合、距離的に大峯奥駈道の4分の3に位置する、標高千メートルの山の中。  他には集落も無く、よくこのようなところに立派な神社が造られたものだなと今でも思うのに、その昔作った人、参拝する人の力に感嘆する。 境内を通る 修験道の修行の場である大峯奥駈道には大いに挑戦心を煽られるが、熊野古道に比べてかなり厳しそうだ。 裏山に登り、上のほうに立派な赤い社殿が見えたので登り始めて頂上まで行ってしまうが、見えたと思ったのは紅葉の織り成す幻影で、小さな地蔵尊があるのみだった。  

世界遺産・玉置神社に行く途中昇り竜の雲 玉置神社入り口 本殿までの参道 もう少しで本殿 玉置神社・解説 本殿 本殿 本殿 本殿 大峯奥駈道が境内を通っている 摂社・三柱社 裏山の石

(天川弁財天)

天川弁財天入り口の鳥居 芸能の神・ステージと観客席がある 本殿までの参道 もう少しで本殿 本殿 本殿

大峰山登山口、龍泉寺、洞川の宿
大峯奥駈道

大峯山登山口 登山道・女人結界 龍泉寺の泉 龍泉寺  龍泉寺 龍泉寺の紅葉 龍泉寺の紅葉 洞川の宿

10月22日 伊勢神宮・外宮・内宮     10キロ

洞川から最寄の近鉄の駅に、2回ほど乗り換えて特急で伊勢神宮へ。  初めて行くので切符を買うときに、どちらの駅にしますかと聞かれて、戸惑う、伊勢市が下宮、次の駅宇治山田が内宮に近い。  位置関係がよくわからないまま宇治山田で降りて外宮に歩いて行き、内宮へはバスで移動。  ヨセミテ国立公園を、米国の国立公園の頂点的存在と思うが、伊勢神宮は神社の頂点ではないかと、凛とした"気”を感じる。平日にもかかわらず人出が多かったが、外国人はほぼ皆無。  2010年の通算参拝客はパワースポット人気の効果か史上最高(860万人)に達する見込みという。

レトロな宇治山田駅 外宮の入り口で変な声で鳴いていた鳥 外宮の鳥居 外宮・豊受大神宮・御正殿 外宮・土宮手前の池 内宮入り口までの商店街・おかげ横丁を出たところ・おはらい町 内宮入り口・宇治橋 内宮・五十鈴川御手洗場 内宮・風日祈宮橋 内宮・風日祈宮橋 内宮・神楽殿 内宮・御正殿’’ 内宮・御稲御倉 内宮・荒祭宮 内宮・お守りを購入’’ 内宮・入り口

10月23日 大阪・京都 下鴨神社  

大阪淡路の商店街 京都・加茂川、人々の「間」の取り方が面白い 龍泉寺の紅葉 龍泉寺の紅葉 洞川の宿

10月24日 京都 貴船神社 鞍馬寺   10キロ

龍泉寺の泉 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺 龍泉寺

10月25日 和歌山・大阪 

大峯山登山口 登山道・女人結界 龍泉寺の泉 龍泉寺  龍泉寺 龍泉寺の紅葉 龍泉寺の紅葉 洞川の宿

10月26日 大阪 住吉大社

住吉大社 住吉大社 住吉大社

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